佼成 1月号会長先生のお言葉は、ここをクリックしてください。
]]>
11月
1日(金) 朔日参り 9時より
夜間朔日参り 19時30分より
4日(月) 開祖さまご命日
七五三参り
10日(日) 脇祖さまご命日
詳しくは、ここをクリックしてください。
]]>「仏」を供養する
・なぜ「仏」がたくさんいるのか
・「供養」の基本は思いやり
詳しくは、ここをクリックしてください。
]]>「違い」があるからこそ
詳しくは、ここをクリックしてください。
]]>自分の「宝」を輝かせる。
詳しくは、ここをクリックしてください。
]]>
詳しくは、ここをクリックしてください。
]]>香 る 風 の よ う な 人 に
(1)心に香風が吹きわたる
春の花の代表格は桜ですが桜の花を見るよりも先に、梅や沈丁花(じんちょうげ)や辛夷(こぶし)の甘い香りをのせた風に春が訪れた喜びを実感する人も多いのではないでしょうか。
その喜びにも通じる言葉が、法華経の「序品」にあります。
「栴檀( せんだん ) の香風 ( こうふう ) 衆 ( しゅ ) の心 ( こころ ) を悦可 ( えっか ) す」
―この一説を開祖さまは、「仏さまの香風が衆生の心の中に入ってくると大歓喜が生じる」と、簡潔に説明しています。
仏の教えに出会えた私たちは、その教えを聞き、学び、実践していくなかで数々の気づきを得ます。
いやだと思っていた人やものごとに感謝ができるようになったり、それまで幸せだと感じていたことは自己中心の思いに過ぎなかったと気づいたりして、生き方が変わるのです。
そうしてほんとうに大切なことに気づき、悩みや苦しみから解き放たれた悦びを、私たちは「教えによって救われました」と、思わず口にします。
それが、開祖さまのいう「大歓喜が生ずる」でしょうし、そのときの人は「悦可」しているのです。
ちなみに「悦」という文字は、心のわだかまりをとり去る悦びを意味します。
(2)みんな「徳のある人」
法句経に「徳のある人びとの香りは風に逆らっても進んでいく」「徳のある人はすべての方向に香る」とあるように、人の心「悦可」するには「徳分」が 必要という見方もできそうです。
よく「私のは徳がない」とか「あの人には徳がある」といったりしますが、修養や善行の積み重ねが「徳分」を身につける決め手なのかもしれません。
私たちがいま、この世に一つの命を授かって生きているというのは、大自然の徳はもちろん先祖や親の徳をいただいているからです。一人ひとりが、すでに豊かな徳を具えているということですから、私たちは自らの「徳分」に気づいて、それを成長させれば、だれもが香風を運ぶ「徳のある人」になるもです。
そこで大切なのは、「有り難い」という気持ちです。なにごとにも感謝を忘れないで素直で謙虚な人には、自然に人が引き寄せられます。そのうえで示す、明るく、やさしく、あたたかい態度や言葉は、持ち前の徳をいっそう香らせることでしょう。思いやりをもって和やかにふれあうそこに、教え の香しい風が吹きわたり、それが人を憩わせるのです。
釈尊の降誕月である四月をもって、平成が改元されるといわれます。これは、平和を醸成する務めがマンネリに陥らないよう、心を新たに切り替える機会をいただいたものと、私は受けとめています。仏の教えという香風を運ぶ生き方が、いっそう大切になります。
合掌
佼成4月号より抜粋
平成31年4月1日
]]>
自他の幸せを願う心
今月5日は、教団創立記念日の月です。本会の創立をお祝いするとともに、創立の意義を深く認識し、
新たな決意で精進することをお誓いさせていただきましょう。
(1)「仏の子」だからこそ
そして、同時に他人の幸せを願う心も、私たちは持ち合わせています。つまり、「仏の子なので、人びとの苦しみを除き、災難から救って、安楽な気持ちにしてあげられる」というのす。
すると、私たちに「仏の子」という自覚があるかないかが大事になりそうですが、実際にそのような自覚をもって人とふれあっている人はすくないかもしれません。
ただ、たとえば「私たちの命は本来、無常であり、無我なのだ」ということが分かったら、その人は、「仏の子」だと思うのです。
三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)について自ら学んだり、あるいは人から聞いたりして、「ほんとうにそうだな」と胸に落ちるのは、「仏の子」だからです。
「ものごとは変化してやまないのだ」とか、「みんな仏性のあらわれで、この世のすべてが大調和している」と気づいたならば、それは、「仏の子」に自覚に違いなく、その人は自他の幸せを願い、周囲に幸せを運ぶ菩薩の一人といえるのです。
(2)生きた経典として「入会者即布教者」
経典には、「自分がまだ迷いから抜けだすことができていなくても仏の教えを聞いた人は苦しむ人たちを救うことができる」とはっきりと示されています。
未熟でも、仏の教えが真理にかなっているからです。誰もが人と調和したいと願っているからです。
いつでも、だれにでも、「明るく、優しく、温かく」の姿勢を忘れないことです。
相手を思いやる姿勢に徹する人は、自他に幸せを運ぶ「生きた経典」となり得るのです。
佼成3月号より抜粋 合掌
平成31年3月1日
]]>
人を思いやる「心の習慣」
私たちはふだん、ものごとを損得勘定で判断し、得のならないことはには消極的になりがちです。
人は、なかなか欲得ずくの心を超えられないのです。
損得の「得」は道徳の徳に通じる、といわれます。
一文の得にもならないと思われることであっても、人さまを思うがゆえの実践は、それを行う人の徳分として、人間的な成長など尊い心の財産になります。
人として成長したいと願う欲得が、人間性の向上という「徳」を招き寄せたいと願う欲得が、人間性の向上という「徳」を招き寄せるという意味で、「得」は「徳」に通じるということです。
無量義経に、「自分本位のとらわれや執着を離れて、ものごとの真実を見極めるよう精進することが大切です」
すべては一つ。
自分と相手を一つと見ることです。さらに、さらに、すべてを一つと見れば、人の喜びや悲しみがよくわかり、そうしてわきあがる憐みの心や慈悲の心に突き動かされて、思いやりを行動に移せるのです。
「すべては一つ」という見方によって、思いやりが「心の習慣」になるということです。
いつでも、だれに対しても、自然に思いやることができるよう
私もいっそう精進をしてまいりたいと思います。
平成31年2月1日 合 掌
]]>みんな善の根っこをもっていいる
新年、おめでとうございます。本年も、ともども心楽しく、ひたすらに仏道を歩んでまいりましょう。
教団創立100周年に向けて、「惜しみなくつながる〜菩薩を育てる苗代となる〜」の母型(マザープログラム)を自覚し、「仏さまとつながろう!すべての会員とつながろう!青少年とつながろう!」の志を持って、今月も明るく、優しく、温かく、一人ひとりの心田を耕していきましょう。
今月のご法話「みんな善の根っこをもっている」
(1)乾いた根に潤いを与える
法華三部経のなかの無量義経に、「衆生の諸有の善根を潤漬し」(徳行品)とあります。善根とは、善い果報をもたらす土台となる根っこのことですが、「だれにも仏と同じ性質が具わり、みんな仏のあらわれである」ということを示す「仏性」と同じ意味あいと、私は受けとめています。ですから、だれもが善根をもっているといえるのです。ただ、その根っこが健やかに育ち、伸びるには、乾いた根に活力を与える潤いが欠かせません。
(2)ほんとうの「正定聚」に
無量義経の一節は、先の「善根を潤漬し」のあと、「善の種子を布いて功徳の田に遍じ」と続きます。「世のため人のために尽くす行為の本になる、善の種子をたくさん播こう」−要するに、「仏の教えを伝えて、自分も人も一緒に幸せになろう」と、「布教伝道」を説いているのです。
私たちにとって大切なのは、まず「身近な人の善機縁になろう」と願って生きることです。人を思いやるやさしい言葉や態度が、苦しむ人の根に潤いをあたえるからです。
みんなが「仏さまのようになりたい」と決意し、救いを求めるすべての人にとって、いつでも心安らぐ「正定聚」でありたいと思います。
合掌
平成31年1月1日
]]>日々ありがとうございます。
12月は、月ごよみでは、師走( しわす ) と言います。
僧が読経( どきょう ) のために東西を馳せる ( はせる )
「師が馳せる月」から「しはせつき」となり、「しわす」になったといわれます。「師」は「僧」を表わし、
「馳せる」は「走る。急いで行く」の意味です。
道を楽しむ人に
−なにごとも楽しいと受けとめる−
そういうものの見方をこころがけていると、気持ちが楽になって、目先の苦に迷うことのない、ほんとうに安楽な人生を歩めるのです。
願いをもって
仏さまのように、ものごとをありのままに見ること(正( しょう ) 見 ( けん ) )によって、静寂で澄みきった心
(正( しょう ) 定 ( じょう ) )を得る。
それは、「あの人の苦しみを取り除いてあげたい」「この人が慈悲の心を得るお手伝いができたらいいなあ」といった、菩薩としての願いをもって生きるということでもあるのです。
私たちはみな、お互いに生かし生かされています。
そのなかで、仏の教えをとおして人間らしい生き方を学んだ私たちは、
仏への道を歩みつつ、一人でも多くの人の仏性開顕(ぶっしょうかいけん)いう使命を果たしていきたいと思います。
佼成 12月号より
合 掌
平成30年12月1日
]]>