12月会長法話「仰いで天に愧じず」

 日々ありがとうございます。
 師走に入りました。「師走」の由来は、僧が読経のために東西を走りまわる「師が馳せる」から「しはせつき」となり、「しわす」になったといわれています。「師」は「僧」を表し、「馳せる」は「走る。急いで行く」の意味です。
 今月も、会長先生のご法話をもとに、自らの心田を耕し、明るく優しく温かく精進してまいりましょう。

 やましいことはないか

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自分が恥ずかしいと思うことや、自分にやましいことはしないという、心の姿勢を、「恥を知る」という言葉で昔から大切にしてきた。
 
 ●私たちはときに利欲の誘惑に負け、人として恥ずかしいこともする。

 ●仏教で十界互具と説くように、ひとはみな、心のなかに欲得づくの「私」もいれば、清廉潔白な「私」もいる。

 ●自己中心で浅ましい心から、思いやり深く、人に尽くすことを喜びとする仏・菩薩の心まで併せもっているのが人間である。

 ●人生とは、過ちをおかしながらいきること。

 ●いつも、「自分にやましいことはないか」と省み、仏・菩薩の心に帰ることが大切である。

 
今年の会長先生の書初め「温習」のごとく、「やましいことはないか」と省み、仏・菩薩の心に帰って精進させていただきたいものです。


 恥じるところに向上がある

 ●法然上人は「はづべし、はづべし。かなしむべし、かなしむべし。」と、ひたすら自己を省みる言葉を残している。「

 ●自分の低い現実を顧みてそれを恥ずる心が起こる」宗教的にいえば、信仰が深まれば深まるほど厳粛に自己をみつめ、懺悔せずにはいられないということ。

 ●「自分はまだまだ至らない」「恥じることを知る心は、どのような衣服よりも人を清く、美しく飾る」

 ●「仰いで天に愧じず」とは、偉大なるものに少しでも近づこうとする人間性豊かな生き方といえる。

 ●人は、懺悔と思いやりの心の繰り返しによって、少しずつ成長していくもの。

 
人間性豊かな生き方とは、信仰心豊かな生き方でもあります。「礼にはじまり、礼に終わる」「三つの実践」「基本信行」を通して、菩薩として拝んでいける私になりましょう。

 今月は、成道会の月です。お釈迦さまがお悟りを開かれた日です。仏教徒として感謝のまことを捧げる式典を通して、新たなる誓願をさせていただき、布教精進していきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。                 合掌

平成28年12月1日         教会長  西村 季代子

 

 

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